温泉寺茶話

温泉寺の宏観和尚が、日々の出来事や、ちょっとしたお話、法話などを綴っていきます。

ハチドリのひとしずく  2010年7月2日更新

先日、温泉寺の檀信徒総会にて下呂温泉の誇る芸妓さんに、奉納舞踊をしていただきました。下呂温泉ゆかりの演目には、必ず本尊・薬師如来が登場します。(しらさぎ伝説)

 

私たち人間は、目と耳でいつの時代もその舞を楽しむことができますが、肝心の本尊様はご覧になったことがあるのだろうか・・・?と、常々思っておりました。すると一昨年でしたか、ある方から昭和元年当時の温泉寺の写真を拝見させていただきました。そこには茅葺屋根の本堂の前で踊ってみえる芸妓衆20名の姿がありました。なるほど、昔はこんなにおおらかだったんだな・・・と平和を感じるのと同時に、やはり薬師如来に対して誰もが敬虔な気持ちで信仰なさっていたんだと、改めて感じました。

 

その素朴な光景の復活は、昨年の下呂温泉まつり最終日の温泉感謝祭でした。観光協会様や旅館組合様などのご尽力でその光景を目の当たりにし、温泉場ならではの伝統文化に触れることができました。また、それを下呂ゆかりの寺でしていただいたことに対して、すごく有意義に感じました。

 

是非、この光景を大切にしたいと思い、今年は本堂内で奉納していただきました。いいものですねぇ〜。檀信徒の皆さんの他、偶然境内にみえた観光客の方たちにもご覧いただき、多くの方から好評を得ました。

 

今、日本は次々と新しい歴史を作り上げています。先日のサッカーワールドカップの日本代表チーム、宇宙に飛び出す宇宙飛行士さんたちなど、いろいろな分野で活躍なさっている方たちに、同じ日本人の私たちは感動をもらい、日本人としての誇りを感じることができます。

 

私自身もそういうヒーローになりたいなぁ、でも自分には無理だなぁ、などと思いながら、じゃあ自分には何ができるかということを、いつも考えています。実際何も生産することができず、何も修理することができず、何も残すことができず、誰の助けもできず、何にも役に立たないのが、今の私の現状です。最近は家族にもよく言われてしまいます。家庭の役にも立たないうえ、僧侶の衣を身に纏いながら、やってることは破戒そのものですから無理もないですけれど・・・。

 

考えれば考えるほど、自分は何のために生きているのかと、不安になってしまいます。でもそんな時、卑屈になっている自分を立ち直らせてくれる本に出会いました。2・3年前にもこのページで紹介させていただいたことがあります。

 

ハチドリのひとしずく  

〜いま、私にできること〜

監修・辻 信一   光文社

 

森が燃えていました。

 

森の生きものたちは、われ先にと

逃げていきました。

 

でもクリキンディという名のハチドリだけは

いったりきたり

くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは

火の上に落としていきます。

 

動物たちがそれを見て

「そんなことをして いったい何になるんだ」

と言って笑います。

 

クリキンディは こう答えました。

 

「私は、私にできることをしているだけ。」

 

このお話は南米アンデス地方に伝わるお話で、ハチドリとは、体長10センチほどの小さな鳥です。こんな小さな鳥のくちばしで運べる水の量は、ほんの僅かです。一見無駄なように思えるこの努力が、実はとても大切なことなんだと教えてくれています。 一人の努力が共感をよび、一人増え、二人増え、もしかしたら森の大火事が鎮火する可能性だってあるんです。

 

しかし解説によると、このハチドリの勇敢さや無限の努力のすばらしさだけを物語っているだけではなく、他の動物たちはそれぞれの家族を守ることを頑張っていたのかもしれない、水で火を消すことを知らずに他の方法を考えていたのかもしれない、仲間と離れずお互いを励ましあっていたのかもしれない・・・つまり、何が良くて何が悪いという問題ではなく、みんなそれぞれに生きている意味があって、無駄な努力などない!それぞれの立場でできることを精一杯やればいい!という結論です。

 

このお話はまさに自分のためのお話だと、たいへん私は勇気をもらいました。この社会の中で自分にできることは、ほんのわずかなこと。というより迷惑をかけることのほうが多いかも?と思う中で、その自分にも生きる意味が充分にあるんだと、素直になることができました。

 

新しい歴史を作り上げていく人達も勿論のこと、温泉寺で踊って下さった芸妓さんのように、日本独自の伝統文化を伝えて下さる方たちも、また、それに共感して下さる方たちも、みんな素晴らしいと思います。私も一緒に喜びを感じることができるだけで、何もできずとも幸せを感じます。サッカー日本代表が惜敗し残念だと、一緒に悔しさを感じるだけで、幸せを感じます。

 

この小さな幸せを教えてくれたのが、「ハチドリのひとしずく」でした。

 

 

 

 


 

翠の松・白い象さん  2010年5月28日更新

 下呂へまいりまして9年目の春を迎え、もう梅雨の時期にはいろうとしています。今年は杉や檜の花粉が少なく、所謂アレルギー性鼻炎の私には、とても楽な春でした。(下呂へ来てから花粉症になりました。これだけ周りに杉や檜があれば、当然でしょうが・・・)

 

 やれやれ花粉の季節も終わったな〜と、安心していましたが、ここ3日間、また症状が出始めました。原因は松だと思います。松だけは相変わらずの量のようで、私の体調の変化とともに、本堂の机や、吹きさらしの廊下が黄色くなっています。毎朝きれいに拭いても、風のある日は昼ごろには、また黄色くなります。

 

 温泉寺には、モミジや楓、大きく育った杉・檜のほか、シンボルともいうべき松が境内のいたるところに聳え立っています。倒れてきたり、枯れたりするとたいへんなことになってしまいそうな大きな松です。「危ないから切ってしまいたいな〜」というのもありますが、本当は「花粉対策に切りたいな〜」と思います。ところが、安易に切れない理由もあります。

 

 1つは下呂温泉発祥の縁起「しらさぎ伝説」の松もその中に含まれていること。1265年(文永2年)、山の中の源泉が地震により枯れてしまい、翌年、現在の源泉地、河原の源泉を知らせた白鷺が降り立ったという松。その松の根元に、温泉寺の本尊・薬師瑠璃光如来が鎮座されていたということで、現在も「瑠璃の松」(るりのまつ)という呼び名で親しまれています。しかも、この「瑠璃の松」が一番ややこしい処にそびえていて、他の松を切るのに「危ないから」という理由はつけられません。

 

 もう1つの理由は、温泉寺の所属宗派である臨済宗を確立された、中国の臨済禅師の栽松の因縁があります。臨済禅師は、後人の標榜・つまり後から来る人達の道しるべのために、寺の境内に松を植えられました。それは、実際順路を示すための道しるべでもあり、その寺の年輪でもあり、心の拠り所としての道しるべでもありました。足場が悪く、ゴツゴツとした岩場で、しかも風当たりの強い場所であっても、太く高く、いつでも翠の葉をつけている松。その様相がいつの時代にも共通する不変の真理を示しています。臨済宗の寺に松の木が多くみられるのは、このような因縁によるものです。

 

 温泉寺の歴史を、その容姿にて伝えてくれている松。それと同じように年輪を刻んでいるのが、毎年5月5日(こどもの日)の「はなまつり」に登場する張子の象さんです。約50年前に作られた象さんで、毎年1日だけの登場ですが、頑張って「誕生されたお釈迦様像」を、町内を1周して温泉寺までお連れしてくれています。先導するのは町内の子供たち。みんなでお釈迦様の誕生をお祝いし、仲良く遊ぶことを誓います。

 

 子供たちに人気の象さんですが、今まで50年間、その都度、保護者のお父さんたちの手で補修してもらい、色を塗りなおしてもらいながら、今日に至っております。今の子供たちの親御さんは皆、子供の頃、この象さんを引っ張った方ばかりです。親子二代、もしくは三代に及ぶこの行事、そしてこの象さんも、温泉寺にとっては大切な財産です。

 

 いつかこの象さんも朽ち果ててしまう時がくるかもしれませんが、たとえ象さんの姿が多少変わることがあっても、それを引っ張る子供たちの純粋な瞳だけは、松の葉同様、いつの時代も変わることがありませんように・・・。

 

 

 

 


 

なみだしくや・・・  2010年3月17日更新

今さらですが、新年明けましておめでとうございます。

この言葉を申し上げるのに2ヶ月半もかかってしまいました。

ようやく春らしくなり、温泉寺の紅梅も開花しました。

それもそのはず、明日から春のお彼岸です。

 

 

というわけで、本日午前中は、仏様にお彼岸団子とお花をお供え致しました。温泉寺では先代和尚さんの時代も手作り団子をお供えしておりました。(たぶんそれまでの和尚さんの時代も・・・)

米粉から団子にして、蒸してお供えするまで、2時間くらいかかります。現在はお彼岸団子もスーパーで買える時代です。買ってくれば、手間も時間も省けます。今までどれだけ買って来ようと思ったことか・・・。

 

江戸時代の松尾芭蕉「奥の細道」を紐解くと、元禄2年8月14・15日に現在の福井県敦賀市に芭蕉は逗留しています。敦賀には、気比神宮という立派な神社があり、芭蕉も参詣し、句を残しました。

 

月清し  遊行のもてる  砂の上

 

奥の細道によると、気比神宮の社殿の前の白砂は、まるで霜を敷き詰めたように白い。その昔、2世他阿上人が一念発起して自ら草を刈り、沼地の境内を乾燥させ、せっせと海岸の白砂を運んでぬかるみを埋めた。その行を、歴代の上人も引き継いで、神殿前には白く輝く砂が敷き詰められている・・・と宿の主人から聞き、深く感激した・・・とあります。

句中の遊行とは、歴代の上人様のことです。当時、白砂をどのような方法で運んだか・・・。などと想像しますと、かなりのご苦労だったことと思います。1日1日少しずつ、地道な作業を1代勤め上げ、更にそのご苦労を、引き継ぐ歴代上人の姿があった。本当に涙ぐましいお話です。

 

芭蕉は初案の句で、

 

なみだしくや  遊行のもてる  砂の露

 

と詠みました。同じことを繰り返し続けていくことは、非常に難しいことです。また、現代の文明の利器による利便性をあえて否定することも、難しいことです。

でも、手間がかかっても、時間をかけてでも同じことを繰り返ししていくことが、日本独自の伝統文化を生み出しました。そこに日本人の良さがあるのではないかと思います。

 

「お彼岸団子の10個や20個ぐらい、自分でこしらえろ!」

という歴代和尚様の叱咤の声が聞こえてきますが、実はこれも全く当然のことで、特別なことではないと思います。

(写真〜秋彼岸・子供茶会)

 

 


 

秋の夜や・・・  2009年12月4日更新

あっという間に師走です。

世間様はどこもかしこもクリスマスモード。

一方で相変わらず安定しない雇用情勢。

山奥の小寺の坊主に何ができるかというと、社会に貢献できることなど何もありません。

ただ、暇な時間を埋めるためにこのような駄文を書いているのです。

 

 

 11月は紅葉ライトアップで、およそ1万人弱(把握数のみ)の方にお越しいただきました。

すでにその余韻もなくなり、寺の境内は冬景色に様変わりしています。

なのにまだ、その余韻にひたっているのでしょうか、今回は、この温泉寺茶話にあの「種田山頭火」さんが再登場致します。

 

秋の夜や  犬からもらったり  猫に与えたり  

(種田山頭火)

 

天真爛漫な性格、自由奔放、などと表現すると誤解を生じる場合がありますが、とにかく一生、母親の位牌を胸に抱いて懸命に生き抜いた俳僧であります。この句は晩年に詠まれた作で、ある秋の夜に、どこからともなくやってきた犬が大きい餅をくわえていて、ついついその犬から餅をご馳走になりました。その犬にお礼を言いつつ、どこからともなくやってきた猫に余っている分をご馳走した、ということだそうです。

 

そのままの解説になってしまいましたが、面白い情景だと思います。

現代の社会では、普通、野良犬がくわえているようなお餅を、素直に喜べません。不衛生という概念があるからです。だから、ご馳走にもならないし、ましてお礼を野良犬に言うこともありません。

 

山頭火には、清潔とか不衛生とか、上下関係、利害関係などという単語は存在しなかったようです。自分自身の存在と、他の存在とが常に平等でした。ですから相手が犬や猫であろうとも、自由自在、不二の世界だったのです。

そこに、お餅という存在が現れます。きれい汚いにこだわらず、山頭火にとっては尊い食べ物・つまり命なんです。尊い清浄なるものと思えるから、犬から素直に受け取り、自分だけではもったいないと、猫にお布施することができるのです。

 

この「犬→餅→山頭火」の関係と、「山頭火→餅→猫」の関係を、「三輪清浄」といいます。

お布施する者、される者、そしてその間に行き交う物体が、決して対立関係になく、不二の世界であることをいいます。更に注目していただきたいのが、「俺があいつにこうしてやった、ああいう具合にしてやった・・・」というわだかまりが一切ない世界なんです。

みんなが「ありがとう。」と言える世界が「三輪清浄」なのです。

 

11月の紅葉ライトアップは、下呂温泉の全ての方たちのホスピタリティーが凝縮された催しでした。宣伝に力を入れて下さった行政や観光協会様、足湯の提供を快く承諾して下さった各主要の組合様、ポスターやのぼり旗の掲示・案内をして下さった地元の皆様、実際に企画運営、開催中の警備にあたって下さった実行委員会の皆様など。それら全ての方たちのご奉仕のおかげで、お客様にモミジや楓の紅葉を無料で楽しんでいただけるのです。

 

みんなの奉仕で成り立つ催しは、そう多くは無いと思います。

無報酬なのに、みんなが喜んで奉仕して下さいます。無報酬なのに、行事自体確実に内容が充実してきています。細かな点まで配慮できるようになりました。道しるべの「手作り行灯」も年々増えてきています。何よりモミジの木自体も、ご寄付により年々増えております。

何故ここまでできるんだろう?と、責任者の一人の私が思ってしまいますが、下呂温泉の皆様が、モミジや楓を通じて「三輪清浄」の世界でお客様をお迎えしているからではないでしょうか。

 

「うわー!きれい〜!!」 「ありがとう!」というお客様の声。それがなんだかすごく嬉しいんです。それだけで充分なんです。

 

お世話下さった皆様、ご来場いただきましたお客様、温泉寺の本尊様、モミジ様。

みんなに感謝申し上げます。

また、ご遠方より演奏に駆けつけて下さった、筝曲の山路みほ様、尺八の金子朋沐枝様、みんなの心を和ませて下さいました。ありがとうございました。

 

 


 

子守地蔵様(こもりじぞうさま)  2009年10月23日更新

温泉寺の173段の石段下、いわゆる大門の部分に地蔵堂があります。そこのご本尊様は、通称「子守地蔵様」とよばれております。

 

昔々、飛騨川が氾濫したときに幼い子供と、そのお婆さんが水に流されて亡くなったことを哀れんで、当時の村人が子供の健やかな成長を願ってお祀りしたのが始まりと、伝わっております。

 

名前と由来の通り、子守地蔵様は幼い子供をしっかり抱いておられます。その子守地蔵様のお祭りを、近所の子供たちと行いました。温泉寺では、その子守地蔵様を大数珠で囲み、みんなで輪になって般若心経をお唱えしながら大数珠を回します。大数珠の上下に、「親玉」とよばれる大きな玉がありますが、それを自分の両親、ご先祖様と思い、親玉が回ってきたら静かに額に当てて、現在ある命と健康に感謝します。更に、これからの成長をお祈りします。

 

大数珠を回してお祈りする習慣は、京都・百万遍の知恩寺様の百万遍念仏に由来するのだと思いますが、現在でも京都市内の各町内にて行われている地蔵盆(子供のお祭り)の大数珠回しをヒントに、温泉寺では平成16年から始めています。

 

私は京都の妙心寺でお世話になっていたころ、地蔵盆に何度かお伺いさせてもらい、初めて子供たちが大数珠を回してお地蔵様のお祭りをする姿を目にしました。温泉寺へきてから子守地蔵様の存在を知り、子供行事の一環として始めてみました。

 

今年で6回目ということもあり、大数珠回しも随分板についてきました。しかも2ヶ月前の夏休みには、毎朝ラジオ体操を温泉寺でやりましたので、その後みんなで本堂にお参りし、毎朝般若心経をお唱えしましたから、今回の大数珠回しは全員が大きな声で般若心経をお唱えしながらできました。子供たちはすっかり般若心経を覚えてしまいました。子供たちの吸収力の高さ、柔軟性に驚きながら、やんちゃしながらも素直に大数珠親玉を額に当てる純粋な瞳に感激してしまいました。

 

大数珠の真ん中にお座りいただいた「子守地蔵様」、どうかこの子供たちがいつまでも、この純粋な気持ちを忘れませんように!!そして健康な体で育ってくれますように!!

「お祈りやお願い事より、感謝のお参りを!」

と、皆様にいつもはお勧めしている私ですが、この日だけは、ついついお祈り・お願い事をしてしまいました。でも、感謝あっての願い事だから、こういうのもいいでしょう。と、自分に言い聞かせています。

 

 

 


 

123456789101112131415|    << 前のページ | 次のページ >>


▲このページのtopへ