温泉寺家紋
禅僧・ラルフ道人

1月7日、一人の禅者がこの世を去りました。彼はドイツ人で「ラルフ・フースラーゲ」という名の居士です。自国で教職をしながら、日本で出家した方です。

私は12年前、学生専用の禅堂で初めてラルフ師と出会いました。それは私にとってまさに衝撃的な出会いでした。当時はそんなに衝撃的な出会いだとは思いませんでしたが、私のその後の人生(修行過程)において大きな影響を与えたことは間違いありません。

見かけはただのデカイおじさんです。やることも非常に自分勝手で、禅堂暮らしの中では一人だけ、とても気楽そうな感じがしました。まだ学生だった私達は、時間に追われ、規律に追われ、ヒーヒー言ってましたが、何の手助けもしてくれず、ただ一人自分のことだけをのんびりやるような方でした。「本当にドイツでは先生なのか?この人に教えられている子供はどんな生徒なんだろう?」と思ってしまうほど、お気楽な方でした。

ただ、人に迷惑をかけるということは一切ありませんでしたし、とてもユニークで、人を笑わせるのが得意な方でした。ラルフ師のそばで怒っている人を見たことがありません。他人を誰でも分け隔てなく受け入れる姿勢は、見習うべき点だと当時から思っていました。

そして何よりも道心の深さに感銘しました。坐禅や読経、作務(掃除)などという当たり前なことは勿論ですが、ラルフ師の素晴しいところは、禅堂内でもプライベートでも食事は質素、酒は少量、贅沢もせず、必要以上に物を求めず、ただあるがままを受け入れていたというところです。特に釈尊のおっしゃった戒律を、執着するように頑なに守っていたようなこともなく、戒律に従った生活が普通に、自然な感じでありました。だから少しも偉そうな態度も無く、自分を他人にアピールするようなこともありませんでした。それでいて自分の中には何でも受け入れることができる、まさに外に求めず、内に求める坐禅がそのまま師の生活スタイルだったのです。私が何度もドイツに訪れたり、何週間も日本で一緒に過ごした結果、最初に抱いていた自分勝手だというイメージは間違いで、実はありのままに満足し、何にでも同化していける禅特有の自由な境涯の持ち主だったと思います。自他不二の世界です。(ただ、何にでも同化しちゃうから、そばにいる人にとっては、やはり自分勝手だと思われますけど・・・。)

そんなラルフ師の姿は、坊主の道を歩んだ私には、とても大きな存在でした。学生の立場から本格的な修行僧になって五年経っても、温泉寺に来てまた住職として五年経った今でも、相変わらずどころか益々煩悩は増えていくばかり。偉そうな態度、偉そうに見せる要領の良さ、不飲酒戒は破りっぱなし。でも、ラルフ師が本来の禅坊主の姿を私の目に焼き付けてくれたおかげで、今、自分が何とか禅坊主をさせていただいているのだと思います。

このページの一番上の写真は、ラルフ師が亡くなる半年前に、私にくれた写真です。英語で書かれた手紙の内容を十分理解できませんでしたが、どうやら旅行の車窓から撮影したもののようです。今までたくさん写真をもらいましたが、この写真が一番好きです。広大な花畑にポツンと木が一本。とても大きな木ですが、威張っているような感じは全く無く、むしろ小さな花達と一緒に何か歌でも歌っているような感じがします。気取らず、飾らず、自然に花畑に溶け込んでいる巨大な一本の木は、何だか禅堂の学生の中に普通に溶け込んでいたラルフ師を彷彿とさせ、あるがままを受け入れる彼の人生を思わせ、同時に禅僧の在り方を教えてくれているようです。この写真をカメラに納めた時、間違いなく死を間近に感じていたと思いますが、果たしてラルフ師はどんな思いでこの光景を眺めていたのでしょう?その時の気持ちを察することはできませんが、形見だと思って部屋に暫く飾っておこうと思います。

今はラルフ師の58年間の人生の一部を、少しでも一緒に過ごさせていただいたことにただ感謝しています。ご冥福をお祈りしています。



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