
11月中旬、温泉寺は多方面の方々によるご協力のもと紅葉のライトアップを開催しました。今回で9回目を数えます。
今年はご承知のとおり、震災による節電励行の社会の中、甚だ不謹慎なことだと、開催に関して随分迷いがありましたが、折角ここに足を運んで下さる方に何かを感じとっていただける機会になればと、「震災を忘れない!祈りの夕べ」というサブタイトルをつけ開催にこぎつけました。
例年の如く、温泉寺境内の建造物は全て拝観可能に開放しますので、それにかかる準備、外のライト設置から掃除、特設足湯準備など、多くの方のお力添えをいただきました。それに加えて、今年は先の東日本大震災で起こった現実に今一度目を向ける機会にしたいと思い、更に多くの皆さまのご協力を得ることができました。
当方の想いを汲んで破格の謝礼にて快くチャリティー公演に応じて下さった歌う行商人・富安秀行さん、バイオリニスト・黒田かなでさん、ユーフォニアム・照喜名俊典さん、モンゴル馬頭琴ホーミー奏者・岡林立哉さん、アボリジニー古典楽器ディジュリドゥ奏者・稲垣遼さん、そして地元で頑張る人気者のオジサンフォークグループGoo連帯の皆さん、本当にありがとうございました。まさに東北を、被災地を想う公演を3回に渡り熱く繰り広げていただきました。今後は被災地東北へそれぞれご出向なさるとのこと、きっと現地の方々もお喜びになり、心に癒しを感じて下さることと思います。
とにかく無我夢中で企画実行してしまったため、こうして振り返りますとお1人お1人が完成されたプロのアーティストで、たいへんな方をお呼びたてし、おこがましい割に充分なご歓待もできず、申し訳ないことでした。この場をお借りし、お詫びと共に感謝を申し上げます。
また、このチャリティー公演に際しましてご来場の皆さまからは心温まる義援金を頂戴しました。衷心より御礼申し上げます。
さて、もう1つ、このライトアップ開催が良かったか、それとも自粛すべきだったかどうかを評価するバロメーターにしていたのが、私どもの業界(所謂お坊さん)の法話でした。
普通、坊さんの話なんかつまらないし、聴きたくない!っていう方がほとんどで、是非お寺の坊さんの話を聞きたいと普段から思ってみえる方はいないんじゃないかと思います。お金をもらえるなら聞くけど、お金を払ってまで聴こうとする人は、更にいないと思います。
ところが、プロアーティストの公演と同様、当日は100席が満席になりました。法話をして下さった和尚様は、被災地宮城県の禪興寺住職、梅澤徹玄師で、未熟者の私の大先輩であります。
師はご自分のお寺も被災されているなか、積極的に沿岸部の大津波による被災地域復興支援活動を続けておられます。私が被災地へ赴いた際にもボランティア環境を整えて下さり、本当に助かりました。その御縁もあり、今回の法話による祈りの夕べにお招きしたのです。
ご自分の被災経験を通して「無常の世の中を、どう生きていくべきか」を懇切丁寧にお話して下さいました。お話の結びに、大震災から11日目、気仙沼市立階上中学校卒業式で、卒業生代表の梶原裕太君の答辞を紹介して下さいました。涙の出る内容で、全文をご紹介したいのですが、一番心に突き刺さったのは、この部分でした。
階上中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私たちでした。しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。つらくて、悔しくてたまりません。
時計の針は14時46分を指したままです。でも、時は確実に流れています。生かされた者として顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。
しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です。
私たちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても、何をしていようとも、この地で、仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。
後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が、いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごして下さい。
~前後省略~
私はこれまで、釈尊から伝わる仏教寺院の坊主の末端だと自分自身を位置付けてきましたが、たいへんな自意識過剰な思い違いだったことが判明しました。15歳のたくましい青年にまざまざと教えられました。
「諸行無常だからこそ、生かされていることに感謝して、今を懸命に生きよう!」だとか、「助け合って生きていかなきゃいけない!」だとか、「当たり前は、一番幸せなことなんだ!」などと申し上げてきましたが、私の言葉は嘘で、梶原君の答辞は本物です。
自分が実際に大震災を経験してからたった10日後の言葉で、仏教の全てを語っています。更に大きなポイントは「天を恨まず、運命に耐え・・・」ですね。
私の苦手な「持戒・忍耐・精進」(がまんすること・受け入れること・努力すること)の大切さを懸命に説いてくれています。(本当にこの部分は苦手なので、私自身、皆さまの前で申し上げたことはありませんし、申し上げることができません・・・)
梶原君は歯を食いしばり、天を仰ぎ、涙をこらえながら一言一言を精一杯伝えたそうです。辛い現実から目を背けず、懸命に乗り越えようとする魂の叫びだと思いました。
自分の甘さを反省せずにはおれない、本当に衝撃的な法話を拝聴させていただきました。私だけではなく、100名もの方たちが耳を傾けて下さっていたことに幸せを感じました。「祈りの夕べ」は勿論のこと、ライトアップ自体開催して良かったと心から思いました。
禪興寺さん、そしてお会いしたこともありませんが、現在高校生として懸命に生きてみえるだろう梶原君、本当にありがとうございました。
そして当ライトアップにご協力・ご協賛いただきました地域の皆さまに、改めて御礼申し上げます。
今年のお盆は日本国民にとって特別なお盆でした。東日本大震災により命を落とされた何万人もの方々の初盆だからです。
といっても私どもにできることは、ただご冥福をお祈りすることと、一日も早い復興を祈ることだけでした。10日のお精霊迎え「千燈会」、15日の灯篭流し・川施餓鬼、18日の山門施餓鬼会は、被災物故者のご供養に加え、今ある命のありがたさを痛感する機会になりました。例年よりも格段に多かった参拝者1人1人が、しみじみと命の尊さを感じて下さっていました。更にいえば、「当たり前」で居れることのありがたさを考えさせられる機会になりました。
昭和54年、32歳の若さで逝去なさった井村和清さんに「あたりまえ」という詩があります。
あたりまえ
こんなにすばらしいことを みんなは何故喜ばないのでしょう。
あたりまえであることを。
お父さんがいる。 お母さんがいる。
手が二本あって、足が二本ある。
行きたい所へ 自分で歩いて行ける。
手を伸ばせば何でもとれる。
音が聞こえて 声が出る。
こんな幸せ、あるでしょうか。
しかし、だれもそれを喜ばない。
当たり前だと、笑ってすます。
食事が食べられる。
夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる。
空気を胸いっぱいにすえる。
笑える、泣ける、叫ぶこともできる。
走りまわれる。
あたりまえのこと。
こんなすばらしいことを、みんなは決して喜ばない。
それを知っているのは、それをなくした人たちだけ。
なぜでしょう。
あたりまえ。
本当に私たちは今こそ「当たり前」で居れるありがたさに感謝すべきだと思います。ついつい忘れてしまうことでありますが、実はこれが最大の幸福なのだと思います。
温泉寺は、これから11月の紅葉シーズンの準備に入ります。ライトアップ期間中はたくさんの催しが開かれ、1年で1番賑わいます。それと同時に今回は、ご来場なさった方みんなが、命の尊さを感じ、「当たり前」の有難味に触れていただけるような紅葉ライトアップになればと思います。
先の見えぬ東北復興を応援するためのチャリティーコンサート、祈りの燈など、寺ならではのライトアップになろうかと存じます。原則入場無料、是非お気軽にお越し下さい。
臨済宗妙心寺派・醫王霊山温泉寺
下呂温泉と共に歩んできたお寺の歴史について
温泉街を一望する高台に位置する温泉寺の境内
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下呂温泉 醫王霊山 温泉寺
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