温泉寺家紋
温泉寺茶話

三つ目の目・三つ目の耳

今年も恒例紅葉ライトアップが始まりました。昨日15日は、昼夜あわせて1500名の来場者があり、スタッフ一同喜んでおります。

ご協力いただきました下呂市長様・下呂温泉旅館組合様・下呂温泉観光協会様・下呂温泉事業組合様及び地元の皆様には、こうして無事開催にこぎづけられましたことに対して感謝しています。有難うございました。

最近、妙に生物学者の先生方の書物に目が留まります。その中で非常に考えさせられることがありました。「もみじ」の葉っぱの色は、間違いなく退化していくことで緑色から黄色や赤に変化するものだと、これまで思っていましたが、実はそうではなく、元々どんな葉っぱでも、赤や黄色の色素を持って生まれてきているということです。確かにもみじでも、桜でも、本当に最初の芽生えの時は、うっすら赤い色をしていますよね。ところが、芽生え始めると次第に緑色素(クロロフィル)が葉っぱを覆ってしまうことで、緑色の葉っぱになるのだそうです。

ですから、秋になり冷え込んでくることで、退化(人間で言うと老化)するのではなく、ようやく本来の色に戻るという訳なのだそうです。

なんだか私たちの心の中に似ています。私だけでしょうかな。釈尊の教えによると、私たちの心の中には、本来、生まれつき備わっているきれいな心・優しい心(一言で言うと仏心)があるはずなのに、プライドや、物欲などにより全然きれいなところが見えてこない。我執(オレが・私が)が、仏心を隠してしまっている。きれいな十五夜お月様が雲に隠れて見えないような状態なんじゃないかと思います。

私は普段、どっぷり俗世間に浸かっていて、ちっとも坊主らしいところがありませんが、幸い一緒に座禅をして下さる方があり、その方達のおかげで月に一度は座禅をします。座禅に打ち込むことを、禅寺では接心と言います。読んで字の如く、心に接するということです。でも、もっと本当のことを言いますと、接心の接という字を、わざと旧字体で「攝」という字を用い、「攝心」と書くのです。「心に接する」という意味は同じですが、攝は耳が三つありますよね。更に耳という字の中には「目」もありますから、目も三つあるわけです。私たちは普段、許されて二つの耳、二つの目で聞いたり見たりしているのですが、本来心に持っている三つめの耳・三つめの目を呼び覚まそうというのが「攝心」の本当の意味ではないかと思います。本来持っているものに戻るということで、まさしく紅葉と同じです。

以前にも紹介したような気がしますが、イギリスのエリザベス女王のお話です。戦後、かつて植民地支配していたオーストラリアや東南アジアの各国の首脳をバッキンガム宮殿に招いて晩餐会を開いたときのお話です。当時、イギリスの誇るテーブルマナーを、招待された各国首脳はまだよく理解していませんでした。そこで招待客一人につき、二人のイギリス政府の側近がつき、テーブルマナーを指導しながらの晩餐会でした。各国首脳は緊張しながらフォークを口に運んでいたそうです。どうやら、イギリス政府は、この誉れ高き文化によって権威を誇示しようとする思惑があったようです。皆がようやくメインディッシュを食べ終わったとき、ある首脳が、ホッとしたのか、ついついフィンガーボールの水を飲んでしまいました。(フィンガーボールは指を洗うための水です。)間違いに気づいたその首脳は、赤っ恥をかいてしまいましたが、その直後、なんとエリザベス女王までもがフィンガーボールの水を飲み干しました。国賓を迎え、イギリスという国家をあげての公な晩餐会で、エリザベス女王のした行為は、イギリス王朝、イギリス政府関係者から激しく非難されました。しかし、エリザベス女王は涼しい顔で、その後は緊張のほぐれた各国首脳陣と楽しく会話をされ、和やかな雰囲気の中で晩餐会を終えられたということです。

このエリザベス女王の行為をどう思われますか?いろんな立場・文化・そしてそれに伴うプライドが交錯する中、エリザベス女王は本当に真心のこもったおもてなしをされたと思います。間違いなく、三つめの目、三つめの耳で各国首脳と接しておられたのではないかと思います。

今、温泉寺の紅葉は真っ盛りです。それぞれの木の、それぞれの葉っぱが、一生懸命本来の自分の色を取り戻しています。そのおかげで、昼も夜も、私たちの心は和み、安らぎます。

私自身も本来の姿に戻らねばと思いつつ、ついつい紅葉の色と同じような顔色をしながら、毎晩ライトアップを楽しんでいます。(もみじよりも先に紅葉してしまいました・・・。尚、ライトアップ時は酒の提供はありませんし、私も終わってからしか飲んでいません。スタッフの皆さんも同じです。ご了承下さい。)

2008.11.16


住職いるの?

こんにちは。朝晩、涼しい秋風を感じるようになりました。中秋の名月も、もう間近です。

近年、お盆が終わると決まって体調を崩しておりましたが、今年は大丈夫のようです。それもそのはず。一日、境内を観察していますと、朝・昼・夕方と、それぞれたくさんの方がお見えになります。そして有難いことに、それぞれがご自分の気になる箇所を、セッセと掃除して下さっているのです。草を取って下さる方。クモの巣を取って下さる方。落ち葉を掃いて下さる方。長い長い石段を掃いて下さる方。また、本堂や観音堂の中を掃除して下さる方もあります。ほとんどが住職の不精進をご存知の地元の方々ばかりです。そのおかげ様で、小生、今年は熱中症にもならずに元気でおれる訳です。有難い反面、住職としての情け無さも勿論感じます。その都度、御礼を申し上げなくてはと思うのですが、中には御礼も言えず、失礼してしまっている場合もあります。(すみません。)

正確に覚えてはいませんが、高見順さんの小説の中に、「起承転々」というお話があります。

ある旅の僧が、今晩の一宿一飯(投宿)のお願いをしようと、ある古寺の門前に立っていました。そこへ村の古老がやってきて、

「ここは現在住職もいないし、幽霊が出るという噂もあるから、誰も近寄らないから、別のお寺に頼みなさい。」

と、旅の僧に告げます。しかし、旅の僧はそれを振り切って、荒れた境内へ入って行きました。

玄関先の囲炉裏で暖をとっておりますと、そこへ忽然として一人の老僧が現れました。老僧は火箸で灰に、何やら漢詩の二句を書いては消し、書いては消しして、ため息をついています。そこには

「寂寂たる寒山寺。  更に一箇の僧無し。」
(人気の無い、全く寂しい寒山寺。更に後継の僧も無し。)

と、書かれていました。坊守も無く、荒れ果てた寺の現状に、嘆き悲しむ老僧の姿がありました。後の二句をつけたくても、今後どうしていいかわからず、とうとう続きの二句を書けずにいて、ため息をついているのでした。

すると旅の僧がすかさず、続きの二句を書き足しました。

「風は空楼を掃う箒。  月は古殿の灯と成る。」

(時折吹く風が、誰もいない境内の落ち葉を掃ってくれるし、月が常住のともしびと成って、古寺を明るく照らしてくれるよ。)

これを見た老僧は、満足そうに微笑んで、どこかへ消えていきました。

これが「起承転々」の大まかなあらすじです。温泉寺もまともな坊主がおりません。しかし、地元の方達が風となり、月となってくれるおかげで、景観や古い建造物がきれいに 守られているのです。何より、みんなが温泉寺を心の拠所としている姿が、立派でありますし、この尊い心を、そこに住まわしていただいている坊主自身が汚すことのないように、謙虚でいなければならないと反省しています。(もう、どれだけ反省してもおいつきませんが・・・。)

今月は、境内に安置されてから150周年となるお稲荷様の再建落慶。そして11月の紅葉シーズンに向けた準備も始まっています。一人でも多くの方に、来て良かったと思ってもらえるような温泉寺でありたいと願っていますし、地元の方の熱意のおかげで、そう成り得ることを確信しています。

2008.09.09


ご結婚!おめでとうございます!

こんにちは。半月間、京都の本山で絞られて帰ってきました。

「疲れたなぁ。」という若干の安堵の気持ちと、これからまた現実に戻ったら戻ったで、問題山積みの山寺運営と家庭生活。「う~~む。頑張らねば。」といういささか重たい気持ちと交錯する中、帰ってまいりました。留守中、たいへんお世話になった多くの方々、本当に有難うございました。

それにしても、複雑な心境でいる私を元気づけてくれた夫婦が一組あります。なんと、私が下呂へ帰った翌日、温泉寺で仏前結婚式を挙げてくれたのです。

正直申し上げると、イキのいい若者が本当に仏前にて結婚式を挙げて下さるとは、住職の私も当日まで半信半疑でしたが、どうやら前日の夜遅く帰ってきてから本堂へお参りする際に、準備が整っておりましたので、「本当にするんだな。」と、ようやく確信した次第です。(無責任ですが・・・スミマセン・・・)

という訳で、私も早速準備を始め、当日は皆様のご尽力により、滞りなく無事仏前結婚式を円成することができました。そう言えば、新郎様がお父さんと一緒に結婚式のお願いにお越しになられたとき、「僕はご先祖様の前で結婚の報告と、愛を誓いたいんです!」と、おっしゃっていました。私は、「奥様もきっとお若い方だろうに、本当に仏前でいいんですか?」と念を押しましたが、「いいんです!!」と、きっぱり。やる気があれば、何でもできるのだなと、逆にこちらが励まされました。

若さ漲るパワーは、披露宴でも全開でした!私とさほど年齢は変わらないはずなんですが、ダイナミックで圧倒されるような披露宴でした。ですから私のモヤモヤした心境もどこかへ吹っ飛び、帰る頃にはサラッと爽快な心持でした。このお二人のおかげで、気持ちを切り替え、現実と正面向いていけるような気持ちになれました。有難うございました。

東南アジアの仏教国、タイなどでは、結婚式と言いますと、その新郎新婦の祖父母のお二人(合計四人)が一番奉られるそうです。一番上座から、お爺さんお婆さん、そして次に両親が坐り、新郎新婦はその次に坐るのだそうです。要はご先祖様順ということでしょうか。今回の温泉寺での仏前結婚式も、勿論主役は新郎新婦ですが、きちんと本尊様と、ご先祖様のお位牌を前に、お爺さんお婆さんからお座りになりました。そして、朝からそれぞれお墓にお参りされていたお姿は、見習うべきところで、私自身も反省すべき点です。(本当にこれで住職が務まるのでしょうか・・・?)

そうです。私が普段葬儀にて亡者にお渡しする引導法語も、遺族の方にお話する法話も、今回のように婚礼の戒師として新郎新婦のお二人にお話したはなむけも、全ては私自身への問いかけなのです。(あ~、バラしてしまった・・・)皆様にお話しているようで、実は自分に言い聞かせているのです。(ゴメンナサイ)

でも、若干結婚生活5年ですが、夫婦の間には様々な問題が生じることが多々あり。ということは私にもわかってきました。なるべくそういう経験を、今回のお二人にはしてほしくないんですが、念のため、私が頭の隅に置いている言葉を少しご紹介します。

1、普段心がけている言葉
(スペインのセルバンテスの「ドン・キホーテ」より)
「女の言うことはくだらねぇ。けんど、そいつを聴かねぇ男は正気でねぇ!」

2、夫婦喧嘩した場合に心がけている言葉
(イギリスのルイス・キャロルの「不思議な国のアリス」?より)
「あの時の恐ろしさと言ったら・・・。」
王様は続けた。
「決して忘れるものか。」

「でも・・・。」
女王は言った。
「メモしておかなければ、忘れてしまいますよ。」

私の場合、世の中、忘れてしまいたいことだらけなのですが、やはり失敗は繰り返さないよう、心がけているほうが良いのではないかと思います。社会的責任問題にまで発展してしまう失敗は、決して忘れることはありませんが、夫婦間での失敗は、おおかた忘れてしまいます。後々社会的責任問題に発展してしまわないように、私自身、夫婦間での失敗も、なるべく繰り返さないようにルイス・キャロルの言葉でもって、気をつけるようにしているつもり・・・です。

なぁ~んて、余計なお節介でした。新婚様には関係ないお話でしたね。どうか、末永いご多幸を心から祈っております。

2008.06.04


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