温泉寺家紋
温泉寺茶話

はなまつり

ゴールデンウィークも終わりました。3月のお彼岸以来、このページも更新していませんでしたが、4月は境内のお稲荷様の再建事業に始まり、桜のライトアップ、現代禅の集い(法話の集い)、新緑を愛でる会に続き、昨日(こどもの日)花まつりまで終わってしまいました。行事のたびに、そのネタを使ってこのページの記事を作ろうと思うのですが、なかなかできません。

理由はただ一つ、明白であります。当日は勿論、その前後に必ず深夜にまで及ぶ酒がつきものだからです。昼にしかできない仕事は雑用も含め、多々あるわけですから、真昼間からパソコンには向かえませんし、必ず体調の良い、静かな夜が必要なのです。なのにそれが無い・・・(涙)。でも、なんて幸せなことでしょう(感涙)。みんなが私を相手にしてくれていると思うと、本当に幸せに感じます。今日のニュースや新聞を見ますと、どこへ行ってきたとか、どこが渋滞しているだとか、いろいろ行楽関係の報道が流れますが、私はどこへも出かけませんでしたが、ある意味充実した、楽しい連休でした。

昨日は「こどもの日」で、毎年恒例の「花まつり」でした。お釈迦様の誕生日を、みんなで一緒にお祝いするのです。生まれたままのお釈迦様(誕生仏)の像に、甘茶をかけて、みんなが「仏の子」であると自覚する日です。「仏の子」といいますと語弊があるかもしれませんが、言い方を変えますと「みんなが仏様と同じ心を宿した、同じ命をいただいているんだよ。本来持ち合わせている優しい心と命を、大切にするんだよ。」ということです。それを知らず知らずのうちにでも、子供達が肌で感じ取ってくれればいいなぁと、願っています。

特に今回の「花まつり」は、去年までの象引きパレードやお参り、子ども会が用意するお菓子セットのプレゼントの他、地元若宮会の方による綿菓子振舞いや、プラレール遊びも用意していました。また、毎年甘茶の需要が増え続けていますので、甘茶も100ℓ用意しました。

「これはかなり楽しい花まつりになるぞ!」

と、私もワクワクして当日を迎えましたが、当日は生憎の雨。(連休中唯一の雨。)象引きパレードも予想通りの少人数の中、頑張って決行したものの、予定のコースの半分で中断。たいへんな日になったものだと、残念な気持ちで温泉寺の境内へ帰りました。ところが、温泉寺の境内ではいつもと同じぐらいか、例年よりも多くの人達で賑わいました。嬉しいことです。

特筆すべきは、もともと子供対象の行事なのですが、それにも関わらず子供を持たない未婚の若者が率先してお手伝いして下さっていたことです。広い庫裡の4分の1はあるプラレールの組立・設置から、綿菓子作りなど、去年まではなかったことをしてくれて、そのおかげで雨の中でも大いに子供達は喜んでいました。

また、毎年参加して下さる地元のカブスカウトやビーバー隊を引率してみえるリーダーの方々も、ご自分のお子さんはあっても、もうその隊を卒業していて、他所様の子供達のお世話をなさっている方ばかりです。

自分の子供が直接参加するという行事でも、休日返上でその行事のお手伝いをするということは、なかなかたいへんなことなのに、頭が下がります。自分の子供がいるいないに関わらず奉仕して下さる方達のおかげで、この地域の子供達はどんなに幸せなことでしょう。きっとこの行事に参加している大人のほとんどが、ご自分が子供の頃、同じようにこの行事に参加し、楽しい思い出を持った方達なんだろうと思います。ですからまた、今の子供達が大人になった時、地域の子供たちのために奉仕してくれていれば、その気持ちさえ抱いてくれていれば、この「はなまつり」は大成功と言えるのではないかと思います。少なくとも、今から20年から30年以上前のこの地域での子供行事は、現時点でそういう意味で大成功しているのだと思います。

中国の「心王銘」という書物にこういう言葉があります。

「水中の塩味、色裏の膠青」  すいちゅうのえんみ、しきりのこうせい

直訳的には、海水の中の塩分。絵の具に溶けたにかわ。ということです。実際に目には見えませんが、実在するものの喩えに使われます。しかもそれがまた、重要な役割を果たしているんです。あの塩分を含んだ海水のおかげで、海の生物達は元気に暮らすことができます。にかわが水に溶けるおかげで、私たちはいろいろな色を楽しむことができます。

私たち人間の「心」も、目には決して見えませんが、そのおかげで生きていくことができます。全ての行動は、この「心」によるものです。ですから自分の心の中が、「なんて汚いんだろう」とか、「なんて卑しいんだろう」とか、とても嫌になることがありますが、反対に何とも表現できない幸せな心地になることも勿論あります。きっと昨日の「はなまつり」では、その場にいるみんなが多かれ少なかれ、それを感じていたのではないかと思います。立場上、仕方なく参加するという浅はかな感情も無く、誰かのために奉仕するという恩着せがましい感情も無く、そこにいるだけで何となく心地良さを感じる空気が漂っていました。それは子供たちの素直な笑顔があったからです。

子供たちの笑顔を見てホッとする感情。心地良くなれる感情。これがお釈迦様のおっしゃった「本来誰もが持っている優しい心(仏心)であり、仏と同じ命。」ということだと思います。これを大切に、そして存分に活かしていけば、素晴らしい日々が送れるのではないかと思います。

例によってこの「はなまつり」も、私自身は何もせず、ただ子供会の方やスタッフの方達と飲むだけが仕事になってしまいましたが、本当に楽しい、心地良い酒でした。飲みすぎ注意の警告を受けることもありますが、以前医師に言われたように、梅干をきちんと食べているから大丈夫!目には見えない梅干の塩分のおかげで、私は生かされております。感謝。

「しあわせは  いつもじぶんの  こころがきめる。」
「イキイキ  はつらつ  感動いっぱい  いのちいっぱい。」
(相田みつをさん)

2008.05.06


お彼岸(仏心の世界)

こんにちは。明日から春のお彼岸(ひがん)です。下呂の方達は本当に熱心にお寺参りやお墓参りをされます。お彼岸ともなりますと、家族お揃いでお参りにおみえになります。お寺に居る者が感心しているのですから、信仰心の厚さはかなりのものです。ひょっとすると、こちらの方が「しっかりしなさいよ!」と、言われてしまいそうです・・・。朝早くお越しになる方もありますから、今まで怠けて朝6時についていた梵鐘も、ここらで5時30分ぐらいにしなければと思っています。

さて、温泉寺は最近卒業旅行の影響か、とにかく若いカップルや若い男女のグループで境内が賑やかです。いろいろと工夫をして本堂などにお参りしていただけるようにお勧めするのですが、中にはお帰りの際、

「それでこちらは何の神様をおまつりしてるんですか?」

という質問を受けることがあります。それどころか、ちゃんと「臨済宗妙心寺派、温泉寺」と書いてあるのに、「パンパン!」と手を鳴らしてお参りされる方もお見受けします。

「えーっ!! お寺なのに神様??」

と、ずっこけてしまいそうです。理由はそれぞれにあるかも知れませんが、なるほど、これが今の若い日本人の宗教観なんです。お寺だろうが、神社だろうが、関係ないんです。とにかく神仏どちらにしろ、お参りしたら何かいいことがあるかもしれない・・・という具合だと思います。非常に寛容的な気質の日本人だからこその発想で、それはそれでいいのかも知れませんが、明日からは折角の日本古来の伝統行事である「お彼岸」です。

「なるべく若い十代のカップルにでも理解していただけるような内容と文章で、お彼岸の紹介文を作り、境内に表示しろ!」 

という難しい宿題を役員さんからいただきました。(涙)
という訳で、その紹介文の一部をここで紹介します。このお話は元妙心寺管長で、花園大学学長を長年お勤めになられました、故・山田無文老師のされましたお話です。

想像してみて下さい。大きなテーブルの上に和洋食・中華などのたくさんのご馳走が並んでいます。あなたは今、友達や近所の人達と共にそのテーブルを囲んでいます。そしてたくさん食べれるように、大きな大きなスプーンを与えられています。

でも、みんな手足を椅子にしばられていたら・・・。
自由に動かせれるのは、上半身と口だけです。
あなたなら、どうしますか?

地獄のようなお話ですねぇ。腹が減っているのに、ご馳走を目の前にして、手足がしばられているなんて・・・。折角の大きなスプーンも、役に立ちません。きっとイライラしますよねぇ。横にいる友達や、正面にいるご近所さんとも不仲になると思います。このように自分の苦しみから解放されず、自分のことだけを考えているのが、文字通り「地獄」の世界であります。

では、同じ状況なのに極楽の世界など存在するのでしょうか。まず、上半身を前に傾け、口を上手に使ってスプーンをくわえて、ご馳走をすくいます。そしてスプーンの先を前にやりますと、正面のお向かいさんの口に入ります。ご馳走をすくって横を向きますと、お隣さんの口に入ります。このように「どうぞ。」「どうぞ。」としているうちに、お向かいさんやお隣さんからもいただくことができます。肝心なのは、ゆくゆくは自分がして欲しいから、などという策略ではなく、ただひたすら「どうぞ。」と言える布施の心だと思います。こうしていくうちに、状況がどんなに悪くても、周りの方達と仲良く、力を合わせて生きていける極楽の世界が生まれるのです。

この極楽の世界でいる心を「お彼岸」というのだと思います。自分とお向かいさん、自分とご近所さん、自分と友達とが隔たりなく、 一つになる世界です。

2008.03.17


お寺の品格

相変わらずご無沙汰のブログであると、私自身確信しています。つい先日、あるお宅での法事の折、遠方からおみえになった親戚の方が、「いつも楽しみにしています。」とおっしゃってくれたので、ついついのせられる形での更新です。(笑)

さて、私が下呂にまいりましてから来月でちょうど円6年が経ちますが、昨年来、急速に観光客の方に対する意識が温泉寺役員さん共々高まってまいりました。年々賑やかになる秋の紅葉ライトアップのおかげか、行政の方たちや観光協会、マスコミ、旅行代理店などの宣伝で、観光客の数が増えてまいりました。昨年8月頃から現在に至るまで、コンスタントにお参りに来て下さる大型バスツアーも2件あります。という訳で、紅葉の時期以外でも、来て下さったお客さんに喜んでもらえる工夫をしようという気運が高まったのです。その結果、本堂には誰にでもわかっていただけるような説明文(由緒・特筆すべき史実)を貼り出し、紅葉の写真を飾り、下呂古来の風習の健康祈願「大数珠まわし」の体験もできるようにしました。また、お隣の観音堂には、特に若い方たち向けにと、かつてテレビで放送された「まんが日本昔話」に登場した唯一の下呂の物語「さるやの石」を安置、紹介すると同時に願掛けをしてもらおうと、奉納石を用意して、更に遊び心で「恋みくじ」なども置いてみました。更に新緑や紅葉の美しい裏参道には、これまで無縁様として祀られていたお地蔵様などを十八体、裏参道脇にそれぞれ再安置して、散策がてらお参りしていただけるようになりました。そして境内のどこに何があるか、聞かれなくてもわかるように案内板を掲げました。

そのおかげで現在は多くの観光客の方たちにも気楽に堂内に上がってもらえますし、お年寄りから若者までが、境内を散策して下さっています。私個人的にはとにかく「温泉寺へ来て良かった!」と思ってもらえたら良しな訳です。ただ、来て下さった方が本当にそう思って下さっているのかはわかりませんが・・・。

こんな調子で気楽に考えておりました。観光の街的な考え方です。つまり、お寺に来て下さる観光客が対象な訳です。勿論、観光客の方に対してできる創意工夫はまだまだありますし、やらなければならない課題も山積みです。

こうしたことを考え、実行していくことは、「観光寺」としての要素においては画期的であると思います。また、歴史や文化にも触れてはいるので、単に遊び心をくすぐる流行的なものでもなく、観光都市「下呂」の発信地としての役割も少しは果たしていると思っています。(言いすぎかも・・・。)

しかし、一地区の皆さんの「菩提寺」としての要素は、十分に成しえているのか?と問われるとどうでしょう。例えばもうすぐ3月8日。この地区の皆さんで薬師如来をお祭りする薬師祭りの日です。昔(戦前)の写真を見ますと、近所の方たちが大勢お弁当を持ち寄って楽しく歓談する姿が見られます。また、桜の季節になりますと、境内の桜のもとでみんなが踊っています。大人も子供もたくさんいます。みんな笑っているんです。まだ当時のことを記憶されている方は多いと思います。そしてきっと普段の温泉寺の写真でしょうか。人の姿は全く無く、ひっそりと、それでいてどっしりと古風な本堂が悠然と建っています。写真1枚でその静けさ、風格が伝わってきます。論理的、合理的な解釈ではなく、言葉では表現できないような心地よさがそこにはあります。地元の方たちはもしかすると、その心地よいお寺の「品格」というものを愛したのではないか?その「品格」を心の拠所とし、誇りにしていたのではないか?「品格」というほどの建物や境内ではなかっただろうと想像しますが、その素朴な雰囲気に、長い間懐かしさを覚えていたのではないか?そしてまさに今、私自身が僅か6年のうちに、長い間守ってこられたお寺の「品格」を破壊しているのではないか?と、思ってしまいます。

お寺の「品格」または「雰囲気」というものは、勿論地元の皆さんの寺ではありますが、そこに住んでいる坊主によって少なからず影響を受けるものだと思います。今は、日増しに観光客の方の姿が境内に増え、日中はいつでも賑やかな感じがしています。境内も華やかになった気がします。(俗っぽくなった気もします。)でも何とか地元の方達のための寺であり続けなければなりません。これまで湯之島の方達の寺としての「温泉寺」を長い間、歴代の住職方は守ってこられました。今年は当代から数えて先々代様の50年の法事の年です。ちょうど先程申し上げました写真の頃の「おっさま」です。現状をどのように見ておられるのでしょうか?

◎今回は「品格」という言葉を強く意識しました。一昨年出版された昭和女子大学の坂東眞理子先生の「女性の品格」。また、その前にベストセラーとなった新潮社から出版の、藤原正彦先生の「国家の品格」を意識したためです。共に考えさせられる書籍です。

2008.02.25


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臨済宗妙心寺派・醫王霊山温泉寺
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