
平成18年もいよいよあと数時間を残すのみとなりました。皆様にはご健勝にて新年をお迎えになられますことと存じます。
私もようやく新年を迎える準備が整い、今こうして机の前に坐ることができました。ふと一年を振り返ると、いつも以上に今年は反省材料が多い感じがします。(詳しくは、以前の温泉寺茶話をご覧下さい。)12月に入ってどれだけ「忘年会」という名の飲み会に出席したかわかりませんが、折角今年という年を忘れる会なのに、その忘年会でまたしても新たな反省材料を作ってしまうわけですから、どうしようもありません。
以前仕事で京都へ出かけました時に、たまたまある新聞を開いたら、そこに某中学校の女性の先生の投書が記事に紹介されていました。それは、卒業をあと半年後に控えた3年生のクラスで、道徳の時間に、残りの中学校生活を充実させるためにクラスの現状や課題について話し合い、「変わる」ということについて話し合ったという記事でした。ここで特筆すべきは、彼らは「変わる」対象を先ず第一に「自分」と捉えた点です。
~以下新聞記事より~
「自分が変われば○○が変わる。
○○が変われば○○が変わる。
○○が変われば○○が変わる。
○○が変われば○○が変わる。」
「しあわせ四変化」と名付けたプリントの○○の中に、子供達は次々と言葉を入れていった。自分が変わるだけで、「態度」が変わり「心」が変わる。「考え方」が変わり「行動」が変わり、「みんな」が変わり、「学校」や「世界」、「人生」や「夢」が変わる。
~以上新聞記事の一節より~
自分が変わるだけで、巡り巡って「明日」が変わるというのが、そのクラス全員でまとめた結論だったそうです。何だか暗いニュースばかりが目につく新聞の紙面に、非常に明るい光をもたらしてくれた記事でした。
この前向きな姿勢の源は、「変わる」対象を「自分」においている点にあると思います。同じ自分でも、「自分」を中心にして周りを変えようとか、相手を変えようとしてしまうのが私達人間の性です。誰だって自分の思いを主張したいし、周りから自分を認めてもらいたいものですよね。そこで自分の思うようにならない時、悲しい事件が起こります。そうではなく、「自分」が変わることによって「世界」が変わり、「明日」が変わるんだということを、この記事は改めて考えさせてくれました。要は自分の視点や視界が変わるということです。禅で言うところの「もう一人の自分に気づく」ということだと思います。立場や肩書きなどで着飾った自分ではなく、純粋な一人の人間としての自分です。その自分の中には好き嫌い、良い悪いといったものは一切ありません。ただあるがままに感謝していく自分があるのみです。
「自分というものがある。
あるがままで十分だ。」
(アメリカ・ホイットマン)
という訳で、年越しに際して私もこの「しあわせ四変化」というものを考えてみました。
「自分が変われば 生活態度が変わる。
生活態度が変われば 躾(しつけ)が変わる。
躾が変われば 子供が変わる。
子供が変われば 明日が変わる。」
という結果。普段、我が子を見ながら顔を覆いたくなる場面が多いので、どうにかして子供の人間性を変えなくては、などと思っていましたが、それには先ず自分が変わらなくてはなりませんでした。なるほど、横着・不精進・我侭など、子供を変えたいと思う部分は全て親の私自身に当てはまります。(痛っ!!)
私の「しあわせ四変化」を実行することは、私にとってかなり至難の業です。しかし先程皆様に対して、偉そうなことを書いてしまった以上、少しは努力しなくてはと思います。平成19年は、少しでも「しあわせ四変化」に近づけたらと思う反面、気の重い年越しになりそうです。口では言えても、実行はかなり勇気がいりますもんねぇ。「自分」が変わるだなんて、坊主のくせになかなかできません・・・。
だから今年も例によって、「除夜の鐘」でもって一年間の自分をチャラにしようと思います。また来年も自分なりに頑張ります。
いろいろお世話になった方々へ、不義理をお許し下さい。年末のご挨拶に伺うのが本義ではございますが、当HP上にて失礼ながら、御礼申し上げます。また来年も、何卒宜しくお願い致します。ではどなた様も、良いお年をお迎えになりますように。
今年で4回目となる温泉寺境内の紅葉ライトアップが、11月22日から5日間開催されました。当初温暖な陽気で、色づきが遅れるのではと心配しましたが、直前の冷え込みで最高の色づきとなりました。
昨年までは、電気の容量が少なく、満足な照明ができなかったのですが、今年より仮設電源の設置によりライトの増加も可能となり、本堂裏の参道にも照明をすることにより、より深みのあるライトアップができました。また、初日には恒例となりました細江鈴逸様と今井信二様による尺八の献笛・演奏、25日には南澤大介様のアコースティックギターによる演奏ですごく癒されることができました。特に南澤大介様は、ギターの教則本を出版されている程の実力の持ち主で、遠くは神戸からこの演奏を聴くために駆けつけた方もみえたほどでした。会場が狭く、立ち見の方もあり、非常にご迷惑をおかけしました。(コンサート来場者約350名)
また5日間を通して抹茶の無料サービスや、今年新たに「お楽しみ抽選会」も実施し、徳原直政君の写真によるオリジナル切手も製作し、賞品として喜ばれました。その他いろいろ工夫をさせていただき、多少なりとも昨年より楽しんでいただけたのではないかと思います。
昨年は会期中約600名の来場者でしたが、今年は1000名を越すことができました。地元は勿論、観光客の方にもたくさんご来場いただき、あまりイベントがない時期に、下呂温泉観光のお役に立てたのではと思っております。
紅葉の苗木を寄贈いただいた徳原様・下呂市様、抹茶サービスに奉仕していただいた皆様、演奏をしていただいた皆様、その他数多くの皆様のお力添えにより、大盛況の内に終了させていただきましたことに感謝申し上げますとともに、心の癒し場として温泉寺をご利用下さりたくお願い申し上げます。来年度以降もより良きライトアップを企画致しますのでご期待下さるようお願い申し上げ、ライトアップ無事終了の御礼とさせていただきます。ありがとうございました。
「人間に与える詩」
そこに太い根がある
これを忘れているからいけないのだ
腕のような枝をひっ裂き
葉っぱをふきちらし
頑丈な樹幹をへし曲げるような大風の時ですら
真っ暗な地べたの下で
ぐっと踏ん張っている根があると思えば
何でもないのだ
それでいいのだ
そこにこの壮麗がある
樹木をみろ
大木をみろ
このどっしりしたところはどうだ!
(山村暮鳥)
目に見えないところで一生懸命頑張ってくれている、頑丈な根のおかげで、今年も温泉寺のモミジの大木は、きれいに色づいてきました。恒例ライトアップを今年も計画し、今まさに準備段階も佳境に入ってきました。
今年で4回目を迎えますこの「紅葉ライトアップ」行事は、年々内容が充実し、また盛大になりつつあります。昨年は遠方からわざわざお越し下さる方もあり、今年もNHK始め、各メディアがこの行事をとりあげて下さっています。是非ともライトアップを成功させようと、願っていますが、これもひとえに惜しみない協力をして下さる方達のおかげです。
この場合の協力というのは、経済的なものではなく、ほとんどが労働奉仕です。何度も何度も話し合いをして、今回だけのオリジナルサービスを企画し、ほとんどが手作りのものを使用し、ライトの設営、庭や建物内の演出も全て自分達の手によるものです。そのために、たくさんの方が何度もお寺へ足を運んで下さいます。宣伝についても、地元の市役所、観光協会始め、街の飲食店、お土産物屋さんなど、いろいろな方が好意的に対応して下さり、感謝しています。そして、ライトアップ期間中は、非常に寒い中を、駐車場係、案内係、抹茶席係など、たくさんの方の御奉仕をいただきます。そうして初めてこの「紅葉ライトアップ」は成り立っています。
いろいろな形ではありますが、地元の皆さんの強力な支えがあるからこそ、この行事は年々盛大になっています。太い根っこの上に、惜しみなく枝を広げ、華麗に色づくモミジの如きです。
そして、特筆すべきは、この行事に対して協力、奉仕して下さる方達は、皆さん何も見返りを求めていない、ということです。そのおかげで、期間中、入場無料でお客さんにお越しいただくことができます。この行事に携わる方達は、綺麗にライトアップされたモミジを見るお客さんに、立派な「布施行」をしておられるわけです。そして見に来て下さったお客さんは、この行事に対して少しずつでも、協賛金を布施して下さいます。更に、何よりモミジそのものが、私達人間に綺麗な紅葉を布施してくれています。それぞれの立場で、お互いに気持ちの良い布施をし合える場、これこそ「三輪清浄」の世界であり、本当の「癒し」の空間であると思います。これをお寺という場所で実践できることは、たいへん有意義なことだと思います。
古代インドでは、サンスクリット語(古代インド語)でお寺を「ビハーラ」と呼びました。「ビハーラ」とは、「癒しの場」「安心な場所」という意味だそうです。そこにいる人たちは皆、何かに感謝しています。感謝するから、何でも人に施すことができます。そこに喜びを感じ、そこに自然に癒しの空間が広がります。
今、特に殺伐とした世の中でありますが、温泉寺では年に一度、モミジのおかげを被り、ここに自然に「ビハーラ」が出現することを、住職として感謝しています。
(以前このようなことを話したら、「本当は住職の存在だけで、一年中、寺がビハーラでなきゃ駄目なんじゃないの?」と誰かにつっこまれました。残念ながら、温泉寺住職も今のところ、修行の履修科目が不足しているようです。)
何はともあれ、年に一度、間違いなく温泉寺は「ビハーラ」になります。是非一人でも多くの方に足を運んでいただきたいと思います。「いいなぁ。」と素直に感じていただけたら、その時、まさにその心はお釈迦様の「仏心」そのものになっています。白隠禅師の「衆生本来仏なり。」であり、その場が「当処即ち蓮華国 この身即ち仏なり。」の世界であります。
まだまだ改善の余地があり、皆様に喜んでもらえるには、一層の努力が必要でありますが、今年は今年できる限りのことを、地元の皆さんと用意しました。是非ご来場をお待ちしています。
臨済宗妙心寺派・醫王霊山温泉寺
下呂温泉と共に歩んできたお寺の歴史について
温泉街を一望する高台に位置する温泉寺の境内
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下呂温泉 醫王霊山 温泉寺
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