
前回の「人生七転び八起き」の話について、ある会社の社長さんから忠告をいただきました。内容は「人生七転び八転びですよ。」ということです。
そう言われてみると、私の人生も転んでばかり。何一つ満足に自分で起き上がったことはないなぁと、妙に納得してしまいました。故郷出雲では両親・祖父母の他、学校の恩師、友人に恵まれ、何とか大学に進み、京都の大学時代、専門道場時代十年間も、たくさんの老師様方・先輩にどれだけ迷惑をかけたか、振り返ると恥ずかしいことばかりです。また、こんな私にでも惜しみなくお酒を飲ませてくれ、ご馳走をして下さった方が京都に何人もおられます。たくさん失敗をしてしまいましたが、皆さん今でも懲りずにおつきあいしてもらっています。今日こうして下呂の地で衣を着ていれるのも、周りの方達の恩情によるものです。
こうした経過を経て、今ではさぞかし立派な住職であると思いきや、これがまた下呂に来てからも失敗の繰り返し。そのほとんどの原因が「酒」でありますから、情けないものです。「酒の無い国に行きたいなぁ」と、どれだけ思ったことでしょう。仏教に「不飲酒戒」という戒律がございますが、破りっぱなし。それでも地域の皆さんに支えてもらって何とか温泉寺においてもらっています。住職が支えてもらっているということは、温泉寺自体皆様のお力添えで成り立っているということです。
考えてみると、人生七転び八転びですが、それ以上に、自分が気が付かないところでもたくさんの方に起こしてもらっているんだなぁと思います。劇作家・倉田百三さんがこんな言葉を残しておられます。
「自分で生きているなんて、
とんでもない思い上がりだった。
許されて生きているのだ。」と。
これは闘病中、何のために自分は生きているのかと、悩みに悩みぬいた末、倉田さん自身が出した答えだそうです。「許されて生きている。」とは本当に重みのある言葉です。一体何に許されているのでしょうか。
結論を申しますと、「人生七転び八起き」の最初の一起きは、前回の茶話にて自分なりに解決したと思いますが、あとの七起きは、決して自分で起き上がるのではなく、これもまた周囲の皆さんに起こしてもらっていると認識しなくてはならないんです。そればかりか、空気・太陽の光・水などの自然の恵みによって起こされているんです。起こしてもらうということが、許されるということではないかと思います。折角与えてもらった人生ですから、しっかり歩まなくてはと、反省頻りです。今回私に忠告して下さった社長さんのおかげで、また一つ大切なことに気づきました。
ところで最後にお願いがあります。世の中のお坊さんは、みんな真面目な方達です。私の文章を読んで「坊主ってやっぱりこんなものか!」などと決して誤解をしないで下さい。こんなふざけた坊主は他にはいません。その点だけお願いして、今日はここでお開きにします。

臨済宗妙心寺派・醫王霊山温泉寺
下呂温泉と共に歩んできたお寺の歴史について

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