
暫くご無沙汰してました。当山のHPのこのつまらない茶飲み話も、おかげ様で目を通して下さる方があり、「HPを見て来ました」と言って旅行がてら先祖供養や水子供養をなさったり、「まだ更新しないのか!!」と尻をたたいて下さったりで、有難く思っています。
8月は本当に暑かったですねぇ。その上、お盆行事その他雑用に追われ、いつの間にか9月に入っていました。さぁ、また気持ち新たに頑張るぞ!と思いきや、最初からズッコケました。生まれて初めて救急車に乗せていただいたのです。(地元の皆さんにはたいへんご心配をおかけしました。もう大丈夫です。)結局、食塩水のようなものを点滴してもらって、数時間後、寺に帰りました。(皆様、暑い時期は適度な水分と塩分の補給を心がけましょう!ちなみにビールなどは、水分補給の足しにはならないそうです。)
とまあそんな訳で無事、寺に帰ることができましたが、病院に運ばれてからはいろいろな検査をして、その後、病室に一人ポツンと寝ていました。
「忙しい」「慌しい」「あれもこれもやらんならん」と、気張っていた寺が、随分遠くに感じ、
「やっぱり一人がよろしい 雑草」(山頭火)
と、一人静かに休める空間が心地よい感じがしました。
しかしそれもつかの間。よく考えてみると、約束していた法事が30分後に迫っている。すでに今日の月命日のお参りは、無断欠勤になっている。さぁどうしよう!?と、急に心穏やかではなくなりました。携帯電話も無く、そもそもベッドから起き上がれない状態で、どうやって外部と連絡を取ったらいいのかと思うと、何だか寂しい感じがしました。
「やっぱり一人はさみしい 枯れ草」(山頭火)
今の自分は、世の中にはおろか、自分のことさえも満足にできない、まるで枯れ草みたいなもんだなぁ。
「どうしようもない私が 歩いている。」(山頭火)
という状態でした。約束も仕事も成し遂げることができない情けなさ。
すっかり悲観的になっていた私を救ってくれたのは、地元ネットワークの速さでした。早速話を聞いた下呂の私の身元引受人様(坊主の世界では案下所といいます。)と友人が駆けつけてくれたのです。外部との連絡や段取り、必需品もそろえてもらいました。助かりました。どうでもいい会話も、この時だけは、何だか有難く思えました。一言「飲みすぎだ!」と片付けられましたが、そばに誰かがいるという安心感は、たとえようの無いほど心強いものです。
ちなみにこの後、酒屋さんと、なんと法事の約束を果たせなかった先の煙草屋さんまで駆けつけて下さり、お互いに「うちの酒は悪くない。」「うちの煙草も悪くない。」という結果に納まりました。要は自己責任ですね。
このように皆様にご心配とご迷惑をおかけしたのですが、それにも関わらずさらに皆様のお蔭で自分の進むべき道を歩ませてもらう幸せを感じています。たまには反省して、自分の尻は自分でふけるようにならなきゃ駄目だなぁと思います。
「道は前にある。
まっすぐ行こう。」(山頭火)
◎種田山頭火(明治15年~昭和15年)
山口県防府市出身。大地主の息子。11歳の時、母が自殺。早稲田大学文学部へ入学するも、神経衰弱のため中退。帰省し家業の造り酒屋を手伝うも、父親の放蕩と自分の酒癖のため破産。妻子と共に九州へ赴くが、離婚。その後、熊本市、報恩寺・望月義庵に自殺未遂を助けられ、出家得度。大正15年より行脚に出かけ、多くの自由律俳句を詠む。山頭火は荻原井泉水の門下生で、尾崎放哉と並び称される。昭和15年、松山市「一草庵」にて57歳で生涯を閉じる。
臨済宗妙心寺派・醫王霊山温泉寺
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