温泉寺家紋
変な話

本日4月17日、予想通り温泉寺の桜が散り始めました。春の慶びを一番感じさせてくれる桜。今年から地元有志の皆さんと、温泉寺石段下の地蔵堂の桜をライトアップして、地元の皆さんをはじめ、観光客の皆さんにも愛でていただき、また自分自身もそのおかげでおいしいお酒を2回味わいました。特別何か催しをすることもありませんでしたが、ただ桜を目の前にしていただく一杯は、非常に幸せな気分にしてくれました。

その桜の花とも、来年までお別れです。何だか寂しい気持ちになります。こんな時、良寛和尚の辞世の句を思い出します。

形見とて  何を残さん  春は花
夏ほととぎす  秋はもみじ葉

形見など、何を残すというのだ。例えば春に咲く花。夏のホトトギス、秋の紅葉。更にそれ以外の動植物たちの命そのものと、私の命と寸分違わない。その場その場に生きているものが、常に私自身なんだよ。

という感じでしょうか。寂しそうな句の中に、非常に大きな生命のエネルギーが隠されています。「万物と我と同根」そして「一如」「自他不二」の世界であります。私の故郷・出雲が生んだ陶芸家の一人、河井寛次郎さんは「花をみている。花もみている。」と表現されました。自分が花になり、花が自分になるという世界です。

先日、近所の小学生が私に質問しました。

「人を殺すことは悪いことだけど、アリを殺すことはどうなの?いいの?悪いの?」

と。確かに人を殺すことはたいへんな重罪です。当たり前です。しかし私達に直接危害すら与えないアリを1匹、殺すことはどうなのか?それをいきなり聞かれて、びっくりしましたが、その子は非常にいい質問をしてくれたと思います。アリを殺すことは、人間社会における勝手な法律の中では処罰されませんが、この宇宙全体の生命の営みの中ではどうなのか?という部分を充分感じてくれているのです。私はとりあえず、
「小さな体で一生懸命働いているアリを、訳もなく殺すことは良くないんじゃないかい?」
と、答えました。するとまた質問。

「じゃあ、人間を刺す蚊はどうなの?ハエは?」

こうなると、人間の身勝手さを聞かせるしかありません。私はまたもやとりあえず外村繁さん(とのむら しげる)さんの話を、うる覚えでしたが聞かせました。

外村さんは近江商人の三男として生まれました。中学時代、叔父さんの家に下宿をしていたのですが、そのかわり、毎朝カエルをたくさん捕まえてくることを命じられました。叔父さんはヘビが大好きで、飼っているヘビに外村さんが捕まえてきたカエルを毎朝食べさせるのです。外村さんは、カエルが可哀想で仕方なく、カエルをヘビに与えることをやめるよう叔父さんに懇願しました。すると叔父さんが答えます。

「お前だって動物の肉や魚を食べているではないか。ヘビだってカエルを食べなきゃ死んでしまうんだぞ。」

と。そこで外村さんは、肉や魚を食べるのをやめると誓いました。するとまた叔父さんが答えます。

「お前は肉や魚にしか命が無いと思っているだろうが、お前が食べる米や野菜にでも皆、平等に命があるんだぞ。」

と。当時外村さんは、その言葉が叔父さんの屁理屈だと、暫く反抗したそうですが、後になって考えてみると、全くその通りだと納得されたとのことです。

他の命をいたわる優しい心と、それと全く同じ命を持つものを食べなければ生きていけない現実との葛藤です。私に質問してくれた小学生も、同じ葛藤をしていると思いました。

私達は勝手に、可愛いもの・可愛くないもの。食べるもの・食べないもの。見るもの・見ないもの。好きなもの・嫌いなもの。綺麗なもの・汚いもの。などと区別して生きています。ですが、この目に見える全てのものは、皆同じ命を共有しているものであります。そしてかなりの数の命を犠牲にして、私達は生きていけるのです。数限りない命の犠牲の上に、私達の命の保証がある訳ですから、生かされているという表現の方がいいですよね。全てのものに対して、感謝せずにはいられなくなります。

そうなると、今度はいろいろな命に対して、惜しみなく自分自身を投げ出すことができます。これが愛情=慈悲であり、そのものになりきる一如の世界が広がるのではないでしょうか?良寛さんが春の花、夏のほととぎす、秋のもみじが自分自身であるとおっしゃった世界です。

今回はかなり理屈っぽくなりました。そしてクドイ文章になりました。ここだけの話ですが、このページは更新するたびに、一応家内に読んでもらって、読みやすいかどうか指摘してもらいます。私はまだまだ書き足したい気持ちもありますが、このあたりでやめておかないと、家内にこの文章を却下されますので、これで終わりにします。

あ、それでさっきの小学生の蚊やハエの場合の質問の答え。まだ言ってませんでした。
「とりあえず『ごめんなさい』と言って叩くしかないね。」

と、私は答えました。他にもっと良い答え方があれば、教えて下さい。合掌。

ハエ一つ 打っては南無阿弥陀仏かな (小林一茶)



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