
昨年末、先代住職が遷化致しましてから、何となく気持ちに張りが出ず、お正月、本葬、初午祭、薬師祭、お彼岸と、目まぐるしく続く行事も、ただその場その場を何とかしのいできただけのような感じがします。
そんな中、私自身が反省せずに居れない一方、たいへんな勇気を与えていただけたのが、東日本大震災1周忌法要でした。昨年11月の紅葉ライトアップにて期間中3回のチャリティーコンサートを開催致しましたし、予てより下呂にて周囲の皆様方よりお預かりした義援金や善意を、被災地へ直接お届けしたいと考えておりました。
大先輩の宮城県・禪興寺様にご相談申し上げましたところ、震災後に私どもが瓦礫の仕分け撤去作業を少しお手伝いさせていただきました、気仙沼市・地福寺様での1周忌への参加要請をいただきました。具体的には、3月10日のお逮夜法要・震災メモリアル「鎮魂の夕べ」にて、参拝なさるご遺族の方や、大勢の学生ボランティアの皆さまに建長汁(ケンチン汁)を炊き出しして振る舞ってもらえないか、という要請でした。
喜んでお引き受けし、総代さんや役員さんと協議の結果、これまで大震災関連行事を共に作り上げてきた若手の仲間も含め、合計10名で気仙沼へ出向することになりました。結果、ケンチン汁400食の他、子供さん向けに綿菓子も提供させていただくことができました。
10ケ月ぶりの気仙沼市でしたが、港周辺は瓦礫こそ片付いているものの津波被害による廃墟が相変わらずそのまま立ち並んでおりました。「復興」という文字が本当にほど遠く感じられました。地福寺様周辺も瓦礫は取り除かれておりましたが、何も無くなった所に、何とか修復なさった本堂がポツンと淋しそうに建っていました。何も無くなった境内に「祈りの広場」を設けられ、観音様が海の方を向いておまつりされていました。
私たちは境内の「祈りの広場」にて炊き出しをさせていただきましたが、地福寺様の役員さんや、女性部の皆様方が、ご自身もそれぞれ被災なさってたいへんなご不幸に遭われている中で、献身的にお手伝い下さり、その前向きなお姿に感銘を受けました。
綿菓子ブースでは、地元・階上中学校の生徒が10人ほど集まってくれ、「今日は卒業式でした。遠くから来てくれてありがとう。」という言葉をかけてくれました。遠目にその子たちを見ていると、ふざけあったり、じゃれあったりして、どこから見ても普通の中学生なのですが、津波で亡くした友だちや親族に対して、一生懸命手を合わせていました。彼らもそれぞれにいろんな想いを交錯させながら、これまで一生懸命過ごしてきたのだと思います。
昨年は震災直後、10日遅れでの卒業式で、梶原裕太君があまりにも立派な答辞を述べてくれました。(前回の茶話にて紹介させていただいています)その後輩にあたる子供たちでしたから、きっとしっかり前を向いて、この世の大自然と真摯に向き合って生きていってくれることと思います。
お逮夜法要「鎮魂の夕べ」のクライマックスに、地福寺ご住職の法話を拝聴しました。
「冷酷な言い方かも知れませんが、私たちはこの世に生きている限り、必ず命の終焉を迎えます。自然災害や事故だって、何処にいても遭遇する可能性があるんです。しかしながら、どんな境遇にあっても、めげない!逃げない!くじけない!とにかく前を向いて歩んで行こうじゃありませんか!」
同じく被災なさった地福寺様の熱いメッセージに、参拝なさっていた全ての方が涙しながらうなづいておられました。
3月11日、1周忌を迎えて多くの被災者の皆さまが、また改めて復興の第一歩を歩みだそうとしておられます。その姿勢にわが身を振り返るとただただ反省です。一方で折角授かったこの命を決して無駄にすることなく、いつ死が訪れても後悔しないよう誠実に生きていかねばならぬと思います。自分自身の命を寿ぐことができますように!(命の終焉=死=寿命=命を寿ぐこと)
四月は新たな門出の季節です。振り返りますと私が温泉寺に入山して丸10年が経ちました。当時小学校2年生だった近所の子も、遠方の大学へ発ちました。嬉しいような淋しいような・・・。
昨日は舞妓として門出を迎えたお二人が、温泉寺にお参りに来てくれました。それぞれに決意を新たにして頑張ろうとしている姿を見て、こちらも励まされます。
どうか皆様方の弥栄を祈念申し上げます。

臨済宗妙心寺派・醫王霊山温泉寺
下呂温泉と共に歩んできたお寺の歴史について

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