
『令和』に改元されて2年目。希望に満ちた新時代!
と思っておりましたが、令和2年はたいへんな年になってしまいました。新型コロナウイルスの猛威。未だワクチンや特効薬の開発には至らず、その脅威は増すばかりです。
その上、九州地方を襲った集中豪雨。被災され多くの尊い命も失われました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。また被災されて今なおご苦労されている大勢の方を思うと、言葉もありません。どうか、一日も早く穏やかな日が訪れますようお祈りするばかりです。
周知の通りですが、新元号『令和』は万葉集に由来します。その万葉集の編者にはいろいろな説があるようですが、最も有力な編者に挙げられるのが、奈良時代の公卿・大伴家持です。万葉集に納められた和歌、全4516首のうち、実に1割以上の473首が大伴家持の和歌であり、万葉集最後の和歌・4516首目の和歌も、大伴家持の作であります。
新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪や いや重け吉事
【あらたしき としのはじめの はつはるの きょうふるゆきや いやしけよごと】
大伴家持は貴族社会の中でも有力者であったことは間違いありませんが、当時の最高権力者であった橘氏と、新興勢力の藤原氏との狭間に立たされ、苦しい立場におかれていたことも事実であります。両者の権力抗争に巻き込まれたために、奈良の都に居るのではなく、度々地方へ赴任しているのです。越中国守(越中国の知事)として現在の富山県高岡市に赴任していたことは有名です。この頃に家持は多くの和歌を詠み残しました。
そして、天平宝字2年(758年)、家持は因幡国(現・鳥取県)へ赴任します。これは事実上の左遷であったそうです。ここで迎えた最初のお正月に、先ほどの和歌を詠み、これ以降家持は和歌を残しておりません。そしてこの和歌が、万葉集最後の和歌になりました。
新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪や いや重け吉事
当時、元日に降る雪はその年の豊年をもたらすと言われ、非常に縁起の良いものとされていたそうです。左遷という屈辱的な事実を受け入れなければならなかった家持は、元旦の雪が降り積もるように、吉事(良い事)もたくさん重なりますように・・・と願ったものだと思います。それは家持自身にとっての吉事を願うのみならず、「どうすることもできない現実」を受け入れざるを得ない世の中全体に向けられた願いでもあると思います。その願い「世の中の平安」こそが、万葉集に込められた願いではないかと思うのです。
私たちはまさに今、「どうすることもできない現実」を数多く突き付けられています。奇しくも万葉集に因んだ『令和』という時代に。
大伴家持の願い・万葉集の願いである「世の中の平安」を、今はただただ願い、祈る時だと思います。
新型コロナウイルスの災禍、多くの天災によりご苦労を強いられている方々に、一日でも早く心穏やかに過ごせる日が来ますように、お祈り申し上げます。
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