温泉寺家紋
散り初めし・・・

先月は温泉寺周辺は紅葉ライトアップで大いに賑わいました。温泉寺にて把握しているだけでも期間中の来場者は約14800人、大型バスも41台という数字が残り、年々賑やかになってきています。要因はやはり入場無料ということと、境内全域が整備されてきたことにあるように思います。前回の茶話でもご紹介しましたように、この行事全てが奉仕により成り立っているおかげです。

現在はあんなに見事だったもみぢも散り、期間中消灯後、毎日のように一緒に飲んだスタッフの方たちとも会えなくなり、少し淋しい感じがします。(結局私が一番楽しんでいたかも・・・)何はともあれ「もみぢ」のおかげで身も心も楽しませてもらいました。

窪田空穂さんに

散り初めし わが庭もみぢ
衰へしものは
静かに美しきかな

という詩があります。

もみぢの葉の最期は、鮮やかな紅葉ですが、その最期(終末)に淋しさを感じつつも、美しいものとすることができるのは、欧米には無い日本人の良さだと思います。

「衰へしものは、静かに美しきかな。」

私はこの部分が大好きです。

温泉寺境内の桜やもみぢを観察していますと、春に芽吹くころも、やはり赤く見えます。新芽自体が赤いのです。葉が成長するに従ってクロロフィルに覆われて鮮やかな緑色の葉になります。これが人間でいう「成人」の状態だと思います。しかし時期が経つとだんだん本来持って生れてきた色に戻っていきます。これが「紅葉」の状態で、たまたまその時期が一生のうちの最期なのだと思います。もみぢの最期は、もともと生れ持っていた本来の色に帰ることだったのです。 新緑の青葉も美しいのですが、やはり本来の色のほうが美しい。

私たち人間にとって、「もともと生れ持っている本来の色・本来の姿」って何でしょう?幼いころの無邪気な姿だというだけでは、あまりにも抽象的すぎですね。

赤ん坊は生後すぐに、誰にも教わらずしておっぱいを飲みます。排泄も上手にします。つまり、「生きたい、生きるんだ」という姿勢を常に見せてくれます。そして少し経つと、「みんなと一緒にいたい」という共生の姿を誰よりも強く見せてくれます。これが私たち人間の本来の姿なんだと思います。みんなと共に生きていくために、

「すみません。」 「ありがとう。」 「あなたどうぞ。」

というたいへん有意義な言葉が存在するのです。これを言えるか言えないかで、ずいぶん人生が変わります。人間でいう「紅葉」の状態は、この三つの言葉を素直に言える時ではないかと思います。

もみぢは決まった時期にしか紅葉できませんが、私たちはいつでも紅葉できますね。だったらまた今度にしようか・・・ではなく、私たちは明日の命も知れぬ無常の身。できるだけ今、この瞬間、紅葉している自分でいたいです。

そう考えるとき、窪田さんの「散り初めし・・・」の詩がより一層感慨深く伝わってきます。



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