
皆様、明けましておめでとうございます。今年も懲りずにお付き合いいただきますよう、宜しくお願い申し上げます。
新年を迎えてようやく落ち着いたと思ったら、あっという間に今日は小正月です(本当は旧暦の1月15日)。小正月には、一年の健康を願って「小豆粥」を食べる習慣がありますね。小正月に対して大正月の元旦の頃は、何かと正月行事で慌しく、本当に心から正月らしく落ち着いて過ごせるのが、意外に小正月だったりします。
暮れから新年にかけて、今年の意気込みを前回の茶話でお話しましたが、言ったはいいものの、実行できるかどうか不安要素たっぷりの抱負でした。自信たっぷりの抱負なら、今年も1年力強く生きていけそうな気がしますが、そうではないのでたいへん気の重い年越しでした。しかしそんな私にとって、とても勇気づけてくれる本を、ある方が紹介してくれました。短いお話ですが、とても考えさせられるお話です。南米アンデス地方に伝わるお話だそうです。
「ハチドリのひとしずく」 (監修・辻信一、光文社)
森が燃えていました。
森の生き物たちは、われ先にと
逃げていきました。
でもクリキンディという名の
ハチドリだけは
いったりきたり
くちばしで 水のしずくを
一滴ずつ運んでは
火の上に 落としていきます。
動物たちが それを見て
「そんなことをして
いったい何になるんだ。」
といって笑います。
クリキンディは こう答えました。
「私は 私にできることをしているだけ。」
以上(注・ハチドリとは、中南米と北米に棲息する、体長10センチ前後の鳥)
私は自分の中に、ある種「あきらめ」のような物を自分自身に感じていましたが、このハチドリに出会って、改めて気の引き締まる思いがしました。「自分が変わる」だなんて、到底無理。だから「子供が変わる」「明日が変わる」だなんて、なおさら無理。と決め付けていました。それはまるで、さっきのお話の中の、ハチドリを見て笑っていた動物たちの如きです。
そうではなく、何でもいいから、自分のできることを少しずつ少しずつ、地道にやっていくことが大切なんだと、教えられました。「そんなことをしたって。」と笑われるようなことでもいいから、すごくスローペースでもいいから、これから生きていく子供達のために、自分ができることを精一杯やろうと思いました。
江戸時代の高僧・白隠禅師の著書「毒語心経」に
「徳雲の閑古錐 (とくうんの かんこすい)
幾たびか妙峰頂を下る (いくたびか みょうぶちょうをくだる)
他の痴聖人を傭って (たの ちせいじんを やとって)
雪を担って共に井を塡む (ゆきをになって ともにせいをうずむ)」
という一節があります。徳雲というお坊さんは、使い古して先の丸まった錐のように、悟り臭くない本当の禅の境涯の持ち主で、妙峰山という山の頂に住んでいましたが、愚かなほどに正直な人を雇っては、二人でせっせと雪を運んで、井戸を埋めようとしていたというお話です。これも一見馬鹿らしく、無駄な行為そのものなのですが、少しでも少しでもと、ひたすら精進・努力する姿は、菩薩さんそのものです。
南米アンデス地方の先人たちも、我が臨済宗の祖師も、共にあきらめず、何でもないようなことでも疎かにせずに、自分にできることを精一杯続けることの大切さを教えてくれています。
だから私も、何年かかるか何十年かかるかわかりませんが、今、自分にできることを地道に続けていこうと思います。そのうちに、後になってそれが子供達の成長過程において、少しでも良い結果につながれば言うこと無しです。
今年もご指導、ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。

臨済宗妙心寺派・醫王霊山温泉寺
下呂温泉と共に歩んできたお寺の歴史について

温泉街を一望する高台に位置する温泉寺の境内
敷地内の建物や場所のご案内
下呂温泉 醫王霊山 温泉寺
〒509-2207 岐阜県下呂市湯之島 TEL:0576-25-2465
© ONSENJI 2025 / このサイトの画像および内容を無断で使用・転載・複製することはできません。