温泉寺家紋
お盆(温泉寺瓦版より)

今月も早いものであと僅かとなりました。8月に入ると、下呂温泉は3日間の観光祭、歌塚祭を経て、あっという間にお盆がやってまいります。
皆様はどなたでもお盆には、ご先祖様をお迎えし、またお見送りされることと思います。幼少の頃、8月15日夕方になると祖母がよく「あんた達のご先祖様が、また天に帰ってあんた達を見守って下さるからねぇ。」と、私共兄弟にそう言い聞かせ、線香を灯して手を合わせたものです。ご先祖様はそうしてまたご自分の居場所へ帰られるのですが、現在世に生きる私達は、果たして自分の居場所(心の在りか)を明確にしているのでしょうか。
私達はそれぞれにいろんな顔を持っています。私の場合、一山の住職、小学校PTA役員など地元の諸団体に顔を出し、また家庭においては夫であり、父親であります。いろんな顔や肩書きで、自分勝手な欲望やプライドをついつい持ってしまいます。そして自分の思い通りにならないと、つい生活がなげやりになり、自分は何のために生きているんだろう、とさえ思ってしまうこともあります。
皆様よくご存知の、石垣りんさんの「表札」という詩は、大切なことを私に教えてくれました。

 自分の住むところには
 自分で表札を出すにかぎる。

 自分の寝泊りする場所に
 他人がかけてくれる表札は
 いつもろくなことはない。

 病院へ入院したら
 病室の名札には石垣りん様と
 様がついた。

 旅館に泊まっても
 部屋の外に名前は出ないが
 やがて焼場のかまに入ると
 とじた扉の上に
 石垣りん殿と札が下がるだろう。
 そのとき私がこばめるか?

 様も殿も
 付いてはいけない。

 自分の住むところには
 自分の手で表札をかけるに限る。

 精神の在り場所も
 ハタから表札をかけられてはならない。
 石垣りん
 それでよい。

私はどうも、他人様から付けてもらう「様」や「殿」にこだわりすぎていたんだなぁと、痛感しました。では本当の自分の居場所はどこでしょう。
前回に引き続き、中国の龍牙和尚の詩です。

 木食草衣(もくじきそうい) 心 月に似たり
 一生無念 また無涯
 もし人 居(きょ)いずれの処に在るかを問はば
 青山緑水(せいざんりょくすい)是れ我が家。

春夏秋冬、それぞれの姿に素直に変わる、変幻自在の青山緑水そのものが、そのまま自分自身であると言われたのです。そこには自分勝手な欲望もプライドもありません。ただ、生かされている喜びと、感謝の気持ちのみ存在しています。そこに本当の自分の居場所があるのではないでしょうか。ここのところをお釈迦様は「仏心」、達磨さんは「禅」と表現されたのだと思います。



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